大和田光也全集第20巻
あなたもだまされている
『間違いだらけの仏教選び』【上】
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2014年8月10日
(はじめに)
何はさておき、まずもし、二千五百年前の釈迦が、現在の日本に生きていたとしたら、仏教の現状を見て、どのように思うかということを考えてみたい。
結論を言えば、驚いて腰を抜かすか、あきれて開いた口がふさがらないだろう。あるいは、
「なんと、仏教だと言って、天地雲泥もかけ離れた、でたらめなことをしていることか。私の教えとは全く関係ないどころか、顔に泥を塗っているのと同じだ」と怒り心頭に発するに違いない。
それもそのはずで、高僧と思われている僧侶や社会的に優れていると認められているような仏教学者が言う事は、実に、的外れな空念仏で、信頼して聴いている人々を、惑わしていることが多いのだ。
その具体例としてまずは、仏像を拝むことだ。どこの寺でも、仏像は必ずあるだろう。そしてそれに向かって、僧侶は読経し、参拝者は手を合わすだろう。当たり前のことと言うかもしれない。ところが、すぐには信じられないだろうが、釈迦は、仏像を拝むことを禁じているのだ。
もちろん、美術品としてや歴史的遺産として鑑賞することには何も問題はない。ただ、信仰として拝む対象、すなわち本尊にしてはいけないのだ。釈迦は、仏や菩薩などの像や絵画を本尊として拝むことは、仏教に反していると言っている。仏などの姿を具象化して、形として表現したものを本尊にしてはいけないということだ。
どうしてかと言えば、一面からみれば簡単なことで、もし仏像などを目で見て拝まなければ成仏できないのであれば、生まれながらにして盲目の方は、一生涯、成仏できないことになる。
釈迦の教えは、そんな人権的な差別を助長するものではない。社会的、個人的に弱く、苦しみ悩む人を幸福へと導いたのが仏教だ。それから考えても像の姿を見なければ信仰できないというのはおかしい。
またよく、写経などというものをやっているところがある。これも意外に思うだろうが、釈迦は、今、写経をすることを、
「深夜に鳴く鶏で、全く無用であるのみならず、安眠を妨害する弊害を世の中に及ぼす」と考えている。ましてや、さまざまな形をしたものに願いを書いてぶら下げたり、燃やしたりすれば、願いがかなうなどというのは、子供だましで、釈迦の教えとは全く関係がない。
さらに、おみくじやお守りなど、関連グッズを販売しているのを見ると釈迦は、
「コラッ!私を金もうけのネタに利用するな」と顔を真っ赤にして怒るだろう。
最近、ちょっとしたブームになっているものに、四国八十八ヵ所霊場巡りというのがある。これには、さまざまな方法やしきたりが、もっともらしく決められている。団塊の世代が定年を迎えていることもあり、平日の昼間からゾロゾロと歩いてお参りする人が増えているという。
これなども、当然ながら釈迦の教えに反している。金と暇と体力のある者しか救われないような、そんな教えを釈迦が説く訳がない。現実の社会の中で、経済的に困り、働き詰めで暇もなく、体も弱くて苦しんでいる。
釈迦はこういう人々にこそ幸福への人生転換を教えたのだ。生活に余裕があり、観念的な満足を求めて、趣味で四国を歩き回るような人と仏教とは何の関係もないのだ。
時々、忙しい人や体力のない人のために、四国八十八ヵ所を巡ったと同じ功徳があるといって、簡単な方法を考案したりしている。これなどは、茶番そのものとしか言いようがない。仏罰を恐れない、不届きものといえる。
本来、釈迦は、信者の寄進により寺院は持っていたが、そこには安住せずに、生涯、民衆救済に歩き続けた人だった。そのために足の裏は、鉄板のように硬くなっていたといわれている。
釈迦にとっては、ある場所を聖地とするのではなく、彼が行く先々で目の前の苦悩する人々を救うために説法した所が、すなわち聖地だっのだ。
釈迦は、ある特定の場所に詣でなければ成仏しない、などとは一言も言っていない。もしそうでなければ、これもまた、さまざまな事情によりその場所に行くことのできない人々は、死ぬまで救われないことになる。
仏教は、そんな偏狭な教えではない。もっと世界の人々に開かれたものなのだ。この事も、ふと考えれば、誰でも分かりそうな事だけれど、不思議なほど、仏教に関しては迷信のようなものでも信じ込んでしまう傾向がある。
今の日本の仏教信仰者の状況を動物園のサル山に例えてみた。
山はコンクリートで作られている。所々に遊びやすいように凹凸が付けられている。サルたちは、凹凸を利用して山頂まで駆け上がったり、ゴロゴロと寝そべったりしている。そんな中で、何匹かが連れ立って、山のすそを杖をついてゆっくりと回っている。どれも深刻そうな顔をしている。
コンクリートの盛り上がった所に出くわすと、皆が並んでその凸部分を拝む。有り難そうな顔をして目をパチクリさせて手を合わしている。コンクリートの上では、他のサルが、腹を掻きながら小便をしている。その飛沫が、拝んでいるサルたちに降りかかるが、それでも敬虔な姿でひたむきに礼拝し続けている。
夜になると満月が出た。多くのサルたちが眠ってしまっている中で、信仰深いサルたちが頂上に上がってくる。そして憧憬のまなざしで月を仰ぎ見て、少しほほ笑みながら手を合わす。そのサルたちは、月に願いをかければ、かなうと信じている。
こんな情景だろう。まったく仏教とは関係のない、それどころか、反することを仏の教えだとだまされて、ありがたがって拝んでいる姿である。釈迦がこれを見ると、滑稽さを通り越して哀れに思うのではないだろうか。同時に、仏教に無知な善良な人々をだました仏教関係者に対して激しい憤りを感じるに違いない。
ここまで書くと、読者の中にはきっと、
「この筆者は、偏屈な仏教観に基づいて、批判中傷をしている。お寺に参拝して、仏像に手を合わせるのは当たり前だろう。また、祈願を形に表してどこが悪い。なにより、難行苦行して仏道修行するのは尊いことではないか。注目を集めようと思って、いい加減なことを言うなッ!」と怒る人がいるだろう。
実にごもっともな意見に聞こえる。ところがこれこそ、だまされているのに正しいと信じ込んでいる証拠なのだ。
釈迦は、非常に優れた知恵を持っていた人だ。それで、自分の教えが自分の死後、どのように広がり伝わるのかということもしっかりとシミュレーションしている。死後の布教は釈迦にとって最も大きな関心事であったともいえるので、多くの説法を通して正統に伝わることを願っていた。
当然ながら釈迦は、死後においてはさまざまな人間が出てきて、仏教を自分の都合のよいように解釈して、あたかも仏教の神髄であるかのごとく喧伝(けんでん)する者があふれるだろう、と予測している。釈迦はそれらの人間を魔物だと言っている。決して、だまされて不幸な目に合わないようにと何度も注意をしている。
釈迦は死後、仏教が正しく伝わり広がっていくようにするために、厳しく信仰の仕方を定めている。それは三つの観点から明確にされている。
一つは、《時代》ということだ。釈迦は、時代の流れ、時の流れというものを常に頭の中において布教のあり方を考えている。釈迦が生きていた時のような信仰の仕方を二千五百年も経った現在において同じようにやれ、といえば、信者は、ほんの一部の自虐趣味的な人間だけにとどまってしまうだろう。そんな不合理な信仰ではない。釈迦の教えは、その時々の時代に最もふさわしい信仰のあり方を説いているのだ。
二つは、《場所》ということだ。現在世界には、一夫多妻制を認めている国もあれば、日本のように一夫一婦制を定めている国もある。世界の国や場所によって風俗、習慣、法律はさまざまである。もし仏教が、特定の場所の、特定の社会体制や生活習慣だけを認めるようなものだったとしたら、世界宗教とはなりえない。
釈迦は、このことも熟知していて、どのような国や場所であったとしても自由に信仰できるような教え説いているのだ。
三つは、《心根》ということだ。釈迦は説法をするときは常に、聴衆の理解する能力、また、欲望に振り回される傾向はないかなど、心の状態を把握したうえで説法の内容を決めていた。そうすることによって、聴衆の心の中に仏教の真意が伝わるように工夫していたわけだ。
小学校程度の学力持っている人にも、大学院を出た学生にも、誰人でも分かるように説いている。このことを釈迦は、死後についても考察している。未来の人々の心根はどのように変化していくのかを正確に見抜いているのだ。
この三つの観点から釈迦は、死後を数百年ごとに区切って、どの時代の、どの場所での、どの心根の人々には、どのような信仰方法が正しい仏教を実践することになるのか、ということを明確に示している。
その釈迦の教えから見ると、現在の日本の仏教状況は、ほとんどの人が、自分に都合よくわい曲した仏教関係者にだまされて、真実の仏教から遠ざかってしまったといえる。
本稿は、だまされている多くの人に、わい曲された抜け殻のような仏教ではなくて、釈迦の真意、真実の仏教とは何かを理解していただき、その素晴らしさを実感してほしいと願って書いている。ただ、紙数に制限もあり、内容的には初級レベルのものにしている。機会があれば中級、上級編を書きたいと考えている。
なお、本稿は、私がさまざまな場所で話をさせていただいた内容に加筆、訂正を加えたものである。だから、内容的に重複している部分もあるが、ご理解とお許しを願いたい。
二〇一四年初夏 筆者
(目次)
(はじめに)
第Ⅰ章『でたらめな仏教観』
(一)仏教は日常語でしか語れない
(二)何を信じるのか
(三)葬式仏教は仏教破戒
(四)仏教の究極は自己変革
(五)悟りはどこで開けるか
(六)仏教平和主義
第Ⅱ章『仏教の真実』
(一)仏教の不思議
(二)仏教と他の宗教との違い
(三)仏教ではない仏教
(四)僧侶とは何か
(五)仏教の幸福観
(六)自己と環境
(七)無常と神秘
(八)心について
第Ⅲ章『釈迦の生涯』
(一)家を出る
(ニ)悟りを開く
(三)布教
(四)大難
(五)入滅
第Ⅰ章『でたらめな仏教観』
(一)仏教は日常語でしか語れない
どうしてこれだけ多くの人々が、仏教についてはだまされ続けているのか。どうやら日本人の、権威に弱く付和雷同しやすいという体質も影響しているように思う。
有名な○○寺の住職が金ぴかの袈裟を着て、悟り顔で説法するとすんなりと信じてしまうのだ。また、大学教授の仏教学者がテレビなどに出てきて、仏教哲学などと言って話をすると深遠な話だと思って納得する。
さらに、多数の文学賞を受賞した作家が、仏について書いたものだというと、多くの人が購入し、何の不信感も抱かずにありがたがって読む。
これらの人が仏教について述べている内容は、全く的外れであるにもかかわらず、ほとんどの人が、
「こんな社会的立場も権威もある方が、まさか、でたらめは言わないだろう」と安心して受け入れ信じてしまう。そして、多くの人たちも同じように信じていることでさらに安心感が高まり、仏教への誤った考え方が定着してしまったのだ。
そんな中で、どこの馬の骨か分からないような私が、
「ほとんど皆、真実の仏教に違背している」と言ったって、誰も見向きもしないわけだ。有名な某作家が書いた仏教に関する書物はベストセラーになるが、私の書いた本などはめったに売れない。(笑)
もう一つ、だまされ続けている大きな原因がある。それは、仏教用語の問題だ。深い意味のありそうな仏教用語を使って話をされると、ついつい、言葉の意味が分からないだけに鵜呑みにして信じてしまう傾向にある。
勘違いしてはいけない事は、釈迦は難しい経文を書いて、それを元に説法したわけではない。もともと釈迦の時代には、まだ文字は普及していなかった。釈迦は目の前で苦悩している人に対して、当時使われていた話し言葉で激励と救済の手を差し伸べたのだ。また、弟子たちにも対話を通して仏教の何たるかを教えていった。その時、誰も文字で記録をしていたわけではない。
釈迦の真意は、何としても人生に迷っている人に幸福の道を教えてあげたいという心から発せられた言葉の中にある。また、自分と同じように、人々に苦しみを乗り越えさせようと活動する弟子たちに、教えを伝授する対話の中にあった。だから、その時々に民衆の間で使われていた話し言葉こそが、釈迦の真意を表現する唯一のものだったのだ。
たいていの仏教関係者が話の中で、ありがたそうに経文を引用したりする。その経文はもちろん、釈迦が書いたわけではないのだ。現在残っている経典というのは、釈迦が言葉でしゃべってからさまざまな変遷を経て形作られたものだ。
釈迦の死後、師の教えを後世に伝えるために、弟子たちが集まって記憶に残っている釈迦の言葉を話し合いながら文字として定着させる。その時の文字は当然、当時使われていた言語である。
その後、何百年もかけて、何度も弟子たちが集まって経典の編集を繰り返していく。もちろん釈迦滅後百年もすれば、直接、釈迦と会ったこともない弟子たちが編集を繰り返していくわけだ。その間には、多くの分派ができて膨大な量の経典となる。
言葉もさまざまな言語に翻訳された。当然、言語が違う以上、完ぺきな翻訳など不可能だ。いま日本で、もったいぶって引用している経文は、梵語を漢訳したものがほとんどだ。
経文の中には、全く反対のことを表現した箇所がいくらでもある。一見すると、釈迦の真意はいったいどこにあるのか、つかみどころが分からない。そんな経文をいかにも、私は仏教を知っています、というような顔をして引用する人は、経文の制作過程も分かっていない証拠だ。
さらに、弟子たちによって書かれた膨大な教典のうちのほんの一部を、日本のさまざまな宗派の教祖といわれるような人が、勝手な解釈をして、教えとして残している。それを引用して、
「宗祖は、このようにおっしゃられている」などと真剣な顔をして話しているのは、滑稽としか言いようがない。サル山のサルがコンクリートの凸部分を敬虔な姿で拝んでいるのに等しい。
私は、仏教系の大学を卒業して以来、現在まで、四十年以上仏教の研究を続けている。今、分かることは、四十年以上研究してきた仏教関係の経文などは、すべての仏教資料からすれば、おそらく、数千分の一の分量にしか過ぎないということだ。このことは仏教理解の上で非常に重要な意味をもっている。
それは、釈迦の教えを理解するためには、仏教経典のすべてに精通しなければならないのかというと、そうではないということだ。もし、全部を理解しなければならないのであれば、一生どころか百生かかっても不可能である。一つの経典を深く研究していくと、一生かけてもまだ完結できないものがあるのだから。
仏教討論をしていると、よく、こちらの知らない経文を得意気に出してくる人がいる。その人は、相手の知らない経文を知っているということで、自分の方が仏教を深く理解している、と優位に立ったと思っているようだ。全く、的外れなは理解の仕方だ。どれほど仏教に造詣が深いといっても、知らない経典は山ほどあるものなのだ。
もともと、経典に対する知識が多い人ほど仏教を理解している、などというのは、釈迦の真意が少しも分かっていない人の言うことだ。
以前に、大学の教授をしている仏教学者と話をしたことがある。その人は釈迦の遺跡を求めて、インドやネパールにしばしば調査に行っている。ヨーロッパの大学の仏教学者とも協力しながら、さまざまな業績を上げていた。一時は実在しなかったのではないかとの見方もあった釈迦の、歴史的な実在の証拠の発見に一生懸命に取り組んでいた。私はその人に、
「先生は、釈迦を信仰の対象とされているのですか?」と尋ねてみた。
「いいえ。私は釈尊を、遺跡を中心に実在した人物として、学問的に研究しているのです」と答えた。
また、別の仏教学者の中は、パーリー語、サンスクリット語、漢語の経典の相違をそれぞれ対比させながら細かいところまで研究し、その原因までも追及している人もいる。
これらの研究者は、仏教とは何かを明らかにしようとして、使命感をもって努力していることは認めるが、残念ながら、釈迦の心とはかけ離れてしまったところで右往左往しているにすぎない。
私が通っていた大学の仏教学の教授は、禅学の権威であったが、
「釈尊が登られた山の頂は一つ。ただ、ふもとからその頂に到着するための登山道はたくさんある。いずれの教典でも一つを徹底して研究し、極め尽くすならば、釈尊の到達された悟りの境涯を獲得することができるものなのだ」とよく言っていた。
うまく表現するものだ、と思うかもしれないが、これは完全に釈迦の教えに反している。釈迦は頂上へ到達する道は、ただ一つしかないと言っているのだ。その道を踏み外したならば、成仏はあり得ない、と明言している。
釈迦は多くの経文を説いた。しかし、たいていの経文は、その時々の聴衆の生活状態、精神状態、知識レベルなど個別の状況を考慮して、聴衆がもっとも理解しやすいような教えを説いている。
例えば、欲望に翻弄されて享楽的な生活をすることが社会的風潮になっているような時には、仏道を修行するには禁欲が大切であると言っている。だからといって、仏教の本質が禁欲にあるのかといえば、そんな浅薄のものではない。
釈迦は自らが、
「さまざまなレベルの聴衆に合わせて説いた経文に固執し、執着してはならない」と厳しく戒めている。なぜなら、釈迦の深い教えに到達していないのに、入り口のところで悟りを開いたと思いこんでしまうからだ。頂上へ到着するためには、釈迦の教えの通りの一本の道しかないのだ。
その一本の道とはどのようなものかを説いた言語は何か。ここが大きなポイントだ。それは、言うまでもなく、《話し言葉》だ。今、目の前にしている人々に最も親しまれている日常語で、最も大切な仏教の本質を説いていったのだ。
この釈迦の精神からすれば、ありがたそうな経文や、小難しい仏教用語を出して、いかにも深く仏教を理解しています、というようなパフォーマンスをする仏教関係者は、自らの浅学を恥じるべきであろう。最も難しい内容を最も分かりやすく表現できる人が、最も内容を理解している人であることは間違いない。
アインシュタインが、物理学の最先端の内容を分かりやすくお孫さんに話して聞かせるのを楽しみにしていた、という逸話もある。
本来、仏教は日常語で語られるものなのだ。否、日常語以外で釈迦の真意を語ることは不可能なのだ。こう言うと、極端と思うかもしれないが、ふと考えれば、もし釈迦の教えが、専門的に何十年もかけて勉強しなければ分からないような経文にしか表されていないとすれば、すでに死せる宗教になってしまったといえるだろう。
釈迦が最も関心を持っていたのは、未来永遠に、全世界の人びとが仏教によって幸福な人生を歩んで欲しい、ということだった。そのために、男女、言語、民族、国家といったような差異によって仏教が途絶えないように、普遍性を持たせて説法したのだ。
釈迦の教えの中には、非常に多く、全世界や永遠や全宇宙を意味する言葉が出てくる。これをもっても釈迦の真意が、わずかな一時代の、一地域に限定されたものではないことがよくわかる。
どのような時代であろうが、どのような地域であろうが、それぞれに最もふさわしい日常語で仏教が語られることによって、釈迦の真意である遠大な普遍性が実を結ぶのである。
だから、本稿においても極力、経文を引用したり、仏教用語を使うことはやめる。それが釈迦の精神にかなったことだから。
ところで、ある宗派は、経文について否定的な事を言っている。
「釈尊の最終的な悟りを満月に例えると、経文や仏語というのは、満月を指し示している指のようなものだ。大切なのは悟りの本体である月そのものであって、その存在の説明をした経文などではない。満月が天空に皓々(こうこう)と照っているのが認識できれば、経文などは不要なのである」というものだ。
その証拠として、釈迦自身が説いたかどうかは分からないような経文の一部で、釈迦がにっこりと笑い、その意味を一人の弟子のみが理解した、ということを挙げている。
これは釈迦の逆鱗に触れるだろう。釈迦は生涯をかけ、命を賭して、慈悲の心から救いの言葉を紡ぎ出した。そしてその仏道が未来永遠に伝わるように心を砕いた。釈迦は未来までも指向して会話、対話の言葉の中に教えのすべてを表現し尽くすことに人生をささげたのだ。釈迦の教えはすなわち言葉そのものなのだ。
常識的に考えても、言葉を大切にしない文化は野蛮といえる。言葉が自由に駆使できるのは人間の特質だ。人間の才能は、言葉によって物事を認識し、言葉によって思考し、言葉によって創造することができるという誇るべきものだ。
釈迦の魂のこもった言葉を無用の長物であるという人々は、仏教の尺度を失い、善悪の判断ができなくなり、小さな自己の錯乱した精神の中を彷徨(ほうこう)することになるだろう。
釈迦が人々を救ったのは、まさに言葉であった。また未来へ伝える方法も言葉なのだ。それも、誰でも理解できる簡明な日常語なのだ。
(二)何を信じるのか
薄暗くひんやりとした仏堂に入ると、外の世界とは別の世界に入ったように感じる。仏像を見上げると、作られた数百年の年月をさらに越えて、数千年の時の流れを経て仏の魂が宿っているように思える。灯されたロウソクの炎が、さまざまな人の世の苦悩のように揺らめくが、仏像は、それらを慈悲深く見守り、厳然と存在している。
やがて僧侶の読経が始まる。厳かな声が堂内全体に響き、まるで仏の音声のように心に染みこんでくる。静かに手を合わせて礼拝すると、仏の腕の中に抱かれたような、何とも言えない安心感、満足感、幸福感に包まれる。感謝と感動の思いに熱い涙が流れる。
仏教の信仰について、このようなイメージを持たないでいただきたいと思う。現在の日本における仏教の信仰様態は、釈迦の教えとは関係なく作られたものなのだ。それは、日本に仏教が伝わってきてから長い歴史の中で、当時の外来思想である仏教を日本人の感覚や体質に合うように新しく作り変えていったものだ。はっきりとさせなければならないのは、その間に、釈迦の真意は消え去ってしまったということである。
だから、真実の仏教の素晴らしさを理解するためには、現在の仏教信仰の常識をまず捨て去る必要がある。そうしないと、仏教に反して、我流によって作られた訳の分からない似非仏教にだまし続けられることになる。
ここで、仏教と似非仏教の見分け方を明確にしておきたい。判断基準は簡単で、《何を信じるのか》ということを考えればすぐに分かる。
まず、非常に多くの人が勘違いしていることがある。それは、
「ありがたい仏様がいて、信仰者に利益をもたらし、守ってくれる」というものだ。ところが、釈迦は《ありがたい仏様》を完全に否定している。現実の人間を離れて、この世に天地創造の仏や、全知全能の仏や、救世主的な仏などという絶対者の存在を真っ向から否定しているのだ。この《仏》の部分を同時に《神》などにも置き換えて考えれば、釈迦の宗教観がよく分かる。
釈迦は、人間界を離れた別世界に、絶対的な存在者がいてそれが現実の世界に影響を及ぼす、という考え方を誇大妄想として断罪している。こう言うとまた、
「お釈迦さんは、お経の中でたくさんの仏様のことを述べている。その中には現実世界でない別世界で活躍していらっしゃる仏様も多く出てくるではないか。口から出任せのいいかげんなことを言うものではない」と顔色を変えて怒るかもしれない。
もう、あまり一々、反論する気もないが、釈迦の説いた無数の仏は皆、実は、釈迦己心の仏なのだ。もっと言えば、釈迦が生涯に渡って説いた全ての教えは、釈迦自身の存在を普遍的に述べたものなのである。このことを釈迦は明言している。
難しい話ではない。考えれば、仏教は釈迦が自らの心の中で感得したものを言葉として表現したわけだから、全ては釈迦の心の中に収まっているのは、当然すぎるほど当然なことだ。釈迦に絶対者のような宇宙人が乗り移って、説法させたなどというたぐいの、お笑い漫画のような考え方では釈迦の真意が分かるはずもない。
釈迦は、現実に生きている人間界を離れて、別の世界に絶対者が存在するという宗教を、きわめてレベルの低い宗教であると言っている。人間は弱いもので、どうしても、自分たちの力の及ばないところに絶対者の意志のようなものが存在すると信じたいのだ。
そうすることによって、慰め、平穏、安堵、感謝、感動といったような幸福感を求めようとしている。これは端的にいえば、無責任さから得られる幸福感だ。幼い子供が、すべての責任を親が引き受け守ってもらっているからこそ、何も考えずに幸せでおられる、というのと同じだ。
絶対者の存在を作り上げることは、人間として無責任であり、人間としての逃避を意味している。すなわち、人間としての敗北だ。まして、絶対者の意志によって何かを決定していくというのは、人間の尊厳の放棄といえる。
このことは、古今の歴史が証明しているところだ。どれほど多くの人々が絶対者の意志ということで殺されたことか。殺す側の、絶対者を信じている人間は、殺人が正当化されるどころか、最上の善行になるのだ。また、どれほど多くの人々が、絶対者に歓喜をもって命をささげたことか。日本の特攻隊の人々を出すまでもないだろう。
今も世界のいたるところで、聖戦の旗を掲げて、絶対者のために多くの人々を殺したり、自爆テロが行われている。宗教戦争は、人類が絶対者というものを考案して以来、永遠と続いている。これが絶対者の存在を作り上げた人間社会の現実だ。どこに心の慰めや平安があるというのだろうか。真理に目をそむけて、自己満足で利己的な幸せを求めた代償はあまりにも大きいといえる。
ところで、絶対者は誰が作ったのか。当然ながら人間が頭の中で作り出した産物だ。もちろん、最初に作り上げた人は、人々の幸せのためになると思っての行為だ。
しかしそこには、危険性をはらんでいた。それは、人間の幸福のために作った絶対者が、立場を逆転させて、人間が絶対者に服従するという構図になるということだ。そして、人間の尊厳が絶対者に奪いとらえてしまう事になる。
以前、よく話題になったが、人間が人間のために作り出した人工頭脳によって、逆に人間が支配されるようになる、というのと同じ構図だ。人間には、人工頭脳や絶対者というものを作りたがる精神の傾向がある、ということを肝に銘じておく必要がある。
釈迦は、このことを熟知していた。だからこそ、絶対者の存在を徹底して否定したのだ。さらに、自らが説いた教えの中で、絶対者の存在を予想させるものについては、
「その教えは、その時の聴衆の心の状態を考えて、私の真意に誘導するために説いた仮のものだ。私の真意が明確になってからは、仮のものは捨てなさい」と厳命している。
もちろん、釈迦自身を絶対化することも禁じている。釈迦は亡くなる時に、自分の像を作って礼拝してはいけない、と弟子たちを諭したといわれている。それなのにほとんどの寺には釈迦像がある。そしてその前で拝んだり読経したりしている。釈迦が生きていたら、
「いったい、何を考えているんだい?」とあきれるしかないだろう。
もしこの世に絶対者がいるとしたなら、世界には非常に多くの絶対者を祭り上げている宗教があるわけだから、地球は絶対者だらけになって、うるさくて仕方がないだろう。
「ウチの信者の方が多いのだから、ウチこそ元祖、ゼッタイシャだ」と競い合う姿は、滑稽でしかない。
数多い絶対者の中には少々、毛並みの変わった仏もある。
「生きている現実は所詮、苦しみの世界だから、幸せになるのはあきらめて、死後のためにしっかり信心しなさい。そうしたら、死後には私が幸せな世界へ導いてあげます」というものだ。これなどはもう、仏を通り越して「ホットケーッ!」と言いたくなる。(笑)
分別くさそうな顔をして、
「真実の高等宗教は低俗な現世利益を求めるものではない。現世利益を餌に信者を釣るのは、低レベルの宗教である」などと知ったかぶりをして言う人がいる。釈迦の説とは全く逆だ。釈迦に弓を引いている。
釈迦は、目の前で苦悩に沈んでいる人を、現実に幸福にするために教えを説いたのだ。自己満足の幸福感でもなければ、諦めの現実逃避を説いたのでもない。現に本人自らが幸せになる道を教えたのだ。
「現世で生きている人を幸せにできないような力の無い教えが、どうして、死後において幸せに導くことができようか。そんな教えは、現世、来世ともに無用の長物だ」
これが釈迦の思想だ。もともと、現世利益に関心があることに対して俗っぽいというような見方をしているのは、自らの宗教の無力さを臆病からカムフラージュしているだけの話だ。
ここまで話を進めてくると、絶対者を信じることが、いかに仏道から離れたことなのかということが分かっていただけたと思う。
それでは、いったい釈迦は、どのような存在なのかということになる。
釈迦は自分と他の人々との関係を、
「人は皆、同じ生命の可能性を持っている。それは、私と他の人々と差別があるものではなく、全く同じだ。だから、仏道に従えば、他の人々も全員もれなく、私と同じ境涯になることができるのだ。私はそれをいつも、もっとも願っている」と言っている。すなわち、釈迦と他の人々とは差異なく全く同じ人間だということだ。しかも釈迦の最大の願いは、自分と同じ仏の境涯に人々をすることだと言っている。
また、釈迦は、仏というものの存在を次のように考えている。
「仏は資格である。その資格は、仏が他の人々が誰もいないところで単独で存在したとしてら、付与されるものではない。なぜなら、他の人々を幸せに導くという資格が発揮されないからだ。仏というものは、他の人々がいるからこそ存在できるものである。だから、人々は、仏を生みだした母であり大地である。仏は、子供であり、大地に茂った植物である」
このようなものだ。実に道理にかなった考え方といえる。地球上に誰も人類がいないのに、ぽつんと一人、仏がいたとしても、それは何の意味もないことだ。救済すべき人々がいるからこそ仏という存在の意義が生まれる。仏は、人々との関係性の中で存在できるものであって、絶対的な存在の仏というものはありえないのだ。絶対的な存在の仏などというものは、妄想であることを明確に自覚することが、真実の仏教理解の第一歩である。
釈迦はまた、次のようにも言っている。
「私が仏としてこの世に存在できるのは、過去からの時の流れとは無関係に、降って涌いたように突然、生まれたものではない。自分をこのように存在させてくれている偉大な仏がいたからこそ、今の自分があるのだ」
このように述べている。もちろん《偉大な仏》というのは絶対者の概念とは全く違うものだ。これは、単純な生命論から考えれば、人間の生命の中には、生死は繰り返しながらも、本然的に仏の生命を具備していることを意味している。
人間の生命が存在するためには、当然ながら宇宙の存在がなければあり得ない。そうすると人間の生命も宇宙の存在のひとつであることは間違い。その人間に宿った仏の生命というのは、宇宙の働きであるともいえる。それを《偉大な仏》と表現したわけだ。ただ、この解釈は、一面的なものではある。
いずれにしても、私たちは何を信じるのか、といえば釈迦の教えを信じるのである、ということがお分かりいただけたと思う。仏や菩薩などの像ではない。その姿形を描いた画像でもない。信ずべきは、仏の教えだ。それも、釈迦の真意が表現された教えでなければならない。それこそが唯一の、仏の悟りの頂上へと続いていく一本の道なのだ。
(三)葬式仏教は仏教破戒
はっきり言って、釈迦は生涯において、葬式などの法要を執り行ったりなどはしていない。今の日本では、僧侶にとって葬式や法要を行うのが最も大きな仕事になっている。しかし、釈迦にとっては葬式と仏教とは本来、直接的な結びつきは無いのだ。釈迦が今の現状を見ると、
「仏教の儀式だと言って葬式をやり、金を巻き上げるのはやめろ。私の名をかたって、生活の糧を稼ぐとは何事だッ!」と激怒するに違いない。
もともとどうしてこのように僧侶が葬式を行うのが当たり前になったのかといえば、江戸時代の制度からきている。ご存じのように、幕府はキリスト教禁止を徹底するために、人々にどこかの寺に属して檀家となることを強制した。寺に役所の戸籍係りの役割をさせたわけだ。
そして当然、檀家が亡くなると属していた寺の僧侶が来て、死亡確認とともに葬式を行い、重要な収入源にした。これが、現在でも葬式をやるときは僧侶を呼ぶというのが常識のようになった淵源だ。だから、葬式は、宗教的な意味合いを強く持っているものではなく、いわば行政的な意味を持ったものだったといえる。仏教を利用した幕府の行政手段であり、仏教の皮をかぶった寺の経営手段だったのだ。
ところで、余談になるが、江戸時代の僧侶はまだ、幕府から出されるご法度(はっと)(禁止令)によって、一応、戒律を保っていた。僧侶としての最低限の規律として禁止されていた妻帯、肉食、蓄髪などは守られていた。
ところが、明治の初めに禁止令が解除されると、乱れ切った。宗教的信念によって我が身を律していたのではなくて、政治権力に従っていただけだったことがよく分かった。これ以来、結婚はする、生き物を殺したものは食べる、髪は長髪にする、酒は飲む等々、やりたい放題になった。
気をつけなければいけないのは、こんな僧侶のあり方は、日本にしか通じないというだ。世界の職業的宗教人である僧侶は、ほとんどが厳しい禁欲生活を送っている。それに反すれば、僧侶の資格は剥奪される。世界的水準から判断すれば、日本の僧侶はほとんどが僧侶の資格はない。
日本の僧侶が、海外の日本人信徒の法要のために出張することがある。その僧侶の生活実態を知った人々からは、
「妻帯して、髪の毛を伸ばし、焼き肉を食うなどとは、あきれた生臭坊主だ」と批判される。中には、歓楽街に出かけた僧侶が、売春婦と金銭トラブルになり、地元の信徒に助けられたという話もある。
また、私の通っていた大学の仏教学科に在籍していた学生は、たいていは全国から集まった寺の息子だった。そんな多くの学生と友人になった。夏休みになって盆が近づくと、彼らは早々と実家の寺に帰って行った。
「お寺の最も忙しい時だ。住職の父を助けて、僕も檀家回りをする。仏壇の前で読経唱題するだけだけれど、いいお布施がいただける。一年でいちばん小遣いが稼げる時だ」と喜んでいた。
最近の話だが、知人が葬式を出した。葬儀社に僧侶派遣を頼むと二十万円かかるといわれた。高過ぎるのでもっと安くしてくれ、と言うと、十万円に負けると言った。それでもまだ高いので、五万円なら頼むがどうだ、というと、承諾したのだ。来たのは長髪の所化(しょけ)で、無愛想に経文を呼んで帰って行ったという。
もちろん、僧侶が皆、宗教的に堕落しているとは言わないが、こんな僧侶に拝んでもらわなければ成仏しないとか、戒名をつけてもらわなければあの世に行けないなどというのは、迷信そのものだ。だまされて金を取られているにすぎない。もともと、僧侶に金を出して拝んでもらわなければ成仏しない、というのは釈迦の教えに違背している。
日本の既成仏教は、江戸時代の檀家制度の延長線上で、本来の仏教の目的から離れて、形式化、形骸化してしまっている。知人の僧侶と話をしても分かるのは、僧侶というのを職種と捉えている。また、さまざまな法要は、仕事であり生活の糧なのだ。そこには、純粋な人類救済の釈迦の精神は、影だけ残して実態は全く無くなってしまっている。
多くの人々が、葬式仏教と化した既成仏教に接することが、仏教とはどのようなものかを知る機会となっている。それでいつの間にか、真実の仏教とは、かけ離れたものを仏教だと思い込むようになってしまった。
その結果、仏教は葬式で拝んでもらったり、気休めで寺にお参りに行ったりする程度のものだと思われるようになった。最近では、葬式で僧侶に拝んでもらったり、戒名をつけてもらったりすることに対して、全く意味がなく、世間の慣習としてやっているだけだと捉える人も多くなっている。
また、寺で買った交通安全のお守りを、車にぶら下げているからといって統計上、交通事故に合う割合が少なくなる、などとも信じてはいない。同じように、入試の合格祈願をしたからといって、合格率が実際に上るとは思ってはいない。
ところでもし、寺にお参りなどをすることによって《ご利益》があるとしたら、そんな、世の中の道理に反したことがあっていいのだろうかと、誰でも疑問に思うだろう。
例えば、同じような学力の受験生が二人いたとする。一人はほんの数秒間、寺に行って手を合わして合格祈願した。もう一人は、寺に行かずに受験をしたとする。
結果は、寺で祈願をしたは生徒が合格し、しなかった生徒が不合格になった。などということが起こったら、世の中は大変だ。仏というのは、なんと不公平で、差別的であり選別的であるかということになる。そして、人間社会の道理の根底を覆す元凶ということになるだろう。誰もがそんなことは起こらないと思っている。
「もし、願いがほんの少しでもかなったらラッキー。だけど、そんなことは有り得ないことだよね」
この程度の気休めで仏教に接しているのが現状だろう。日本の葬式仏教の最大の罪は、仏教を形骸化した抜け殻のようにしてしまったことだ。さらに、僧侶や仏教学者が、仏教の本質が分からないにもかかわらず、知ったかぶりをして、この傾向に拍車をかけた。
釈迦の説いた仏教の神髄というものは、葬式仏教とは全く違っているのだ。何よりも大きな違いは、気慰めや自己満足や妄想ではないということだ。
(四)仏教の究極は自己変革
最初に断っておかなければいけないことがある。それは自己変革という言葉の意味することだ。自己変革の内容を考えれば、千差万別、天地雲泥の違いがあるものもある。簡単な話で考えれば、朝五分早く起きるように決意して、それができるようになったならば、これも自己変革になるだろう。
会社で、いやな上司に、努力してあいさつができるようになったならば、自己変革だろう。親不孝ばかりしていた息子が、まじめな生活をするようになるのも自己変革だろう。ダイエットがなかなかできなかった人が、カロリー制限できるようになったなら自己変革だろう。
実は仏教の結論も自己変革であることは間違いないのだが、これらの自己変革と釈迦のいう自己変革とは根本的に違う。精神修養や心掛けや信念などによってできる自己変革とは違うのだ。自分の努力によって自己変革し、幸福になれるのであれば、そうすればいいだけの話だ。また、道徳や倫理といった、社会的人間としての生き方を学び、身につけることによって幸福な人生が歩めるのであれば、これもそうすればいいだろう。
釈迦は、仏教が説く自己変革は、仏教でしかできないことであって、それ以外の方法で解決できることは、努力して幸せになればよいと言っている。言われてみればその通りで、仏教以外のもので、仏教と同じ働きができるものがあるのであれば、仏教の意味はなくなってしまう。
釈迦が仏教を説いた最大の理由は、仏教でしかできない自己変革を人々に成就させることによって、苦悩からの救済を目指したことだ。
当然ながら、仏教は葬式や死後のために説かれたのではない。自己満足の心の慰めのために説かれたのでもない。今生きている人が自己変革を現実にできるようにするために説かれたものだ。釈迦は二千五百年以上も後の私たちにも通じるように自身の存在意義をかけて仏教を説いている。いつの時代になろうが、どのような国であろうが、どのような民族であろうが、自己変革できるように普遍性を持たせて説いている。
鼻に掛けるような言い方をして申し訳ないが、《現実に自己変革するために仏教はある》ということが理解できていない仏教関係者がほとんどだ。有り難そうな説話や法話で茶を濁す僧侶。深淵そうな教理を説いて悦に入る仏教学者。これらの人は、仏教を気休めの観念論としてしか捉えられていない。釈迦の生き方とは根本的に違う。釈迦は、
「仏教の道理をわきまえたならば、私と同じように、道に迷える人々のもとへ飛び込み、幸福になれるように自己変革の道を教えなさい。そうすることを人生の目的にしなさい」と言っている。
果たして現在の仏教関係者のどれだけの人が、自分を犠牲にしても、苦しんでいる人々の元へ行き、救済への道を説いているだろうか。実際のところは、人々を救うだけの宗教的確信も無ければ、行動する信念も無いのが現実の姿だろう。世の中には、痛ましいニュースを取り挙げるまでもなく、苦しんでいる人々は無数にいるというのに。
それではここで、釈迦の説いた自己変革というものは、どのようなものか、簡単に触れておきたい。
私は三十五年間、高校で国語を教えてきた。定年になってからは、教え子の家庭訪問を続けている。様々なことで壁にぶち当たったり、悩んだりしていたら、手助けできることがあるのではないかと思ってのことだ。
今は、最初に学校に赴任して一年から三年まで担任をして、初めて卒業させたクラスの卒業生のところを中心に訪問している。この学年は、今までに一度も同窓会を開いていないので、三十二年を超えて再会することになる。数年かけて、現在、クラスのほぼ七割の教え子に会うことができた。皆、五十歳を超えている。中には、すでに病死した者もいた。また、自殺した者も一人いた。
十八歳から五十歳というと、人生のほぼ中心的な期間であると言えるだろう。おおざっぱに考えれば、その間の生きて来た道を聞くことは、一人の人間の人生を知ることにもなるだろう。そうすると、わたしは三十人近くの卒業生の人生をつぶさに知ることができたとも考えられる。
家庭訪問する生徒が増えれば増えるほど、私は一つの確信を深めることになった。それは、
「人生は、まじめにコツコツと努力したとしても、幸せになるとは限らない」ということだった。いろいろと道徳的、倫理的な人生観をもとに反対論を述べる人がいるだろうが、これが人生の実相だろう。
元生徒の中には、大変まじめで地道に努力をして学力もあり、周囲のものにも好かれてクラス役員などもしていた男子がいた。背がスラリと高くて、運動能力にも優れていた。三年生の進路を決める時、よく勉強ができたので有名私立大学へ進学する事を勧めた。大学は難関校だったが見事に合格した。その後のことは全く知らなかった。
最近、なかなか住所が見つからなかったが、やっと分かってその元生徒に会うことができた。三十四年ぶりになっていた。顔を見た瞬間に私は驚いて言葉もすぐに出なかった。あまりにも老けていた。五十二歳になったと言っていたが、人生の苦しみを舐め尽くしているような姿だった。
三十四年間の歩んだ人生を聞いた。大学を卒業した後、大手企業に就職をした。やがて結婚もして子宝にも恵まれた。順調に進んだのはここまでだった。やがて、慢性的な病気にかかった。父親も同じ病気で苦しんでいたので、遺伝として発症したものだった。これを契機に人生が下り坂になっていった。失業、離婚、実家に帰っての親の介護、と続いた。今は、同じ病気で症状が進んでいる親を彼が介護している状況だった。彼は沈んだ声で、
「僕は、何も悪いことをしていないし、まじめに頑張ってきたつもりなのに、ここまで生きてきて残ったのは、病気と借金です」としみじみと言った。帰りがけに私が、
「何があっても前を向いて生きて行こう」と握手をすると、彼は涙をこぼした。
人生の不条理に悔しい思いをしている教え子は、彼だけではない。多くの教え子が、よりよく生きていこうと努力しても、報われない虚しさを感じていた。五十歳過ぎまで生きると、人生というのは努力すれば幸せなになる、などというほど単純なものではないというのが分かっていた。
《人は生まれながらに平等である》というのは、ある面からいえば完全な嘘である。人間の肉体が先祖代々から共通したDNAを受け継いでいるように、人間の存在そのものにも、DNAのようなものを受け継いでいることは間違いない。それは、その人がその人であるという存在理由を成り立たせている。その人が、その人の引き継いだDNAに基づいた人生を歩むという、決められた流れであるといえる。単純に考えても、その人がたとえどのような生き方をしようが、その人以外になることはできないのは当然だから、DNAは本人の意志や責任とは無関係に引き継いでいるといえる。
釈迦の説いた、自己変革というのは、簡単に言えばDNA的自己変革なのである。自分で、どのような努力をしても一向によくならない、という軌道を幸福の軌道へと変革させるものだ。
釈迦はDNAを《生老病死》の四つの苦しみとして説いた。ある作家は、
「人間は生まれながらにして死刑囚である」と言っているが、実に至言である。人間として生まれた以上、いかなる権力を持とうが、巨万の富みを得ようが、生老病死を逃れることは誰もできない。釈迦は、この人生の根本の苦しみである生老病死さえも、仏教によって幸福へと転換することができると説いた。釈迦は、人間の根本苦も仏教によって救われることができるのであるから、人生の不条理の苦しみも間違いなく幸福の道へと転換できると教えた。
釈迦の教えは、不幸なDNAを幸福なDNAへと自己変革させてゆくことができる。これを可能にすることができるのは、仏教以外にはない。だがら釈迦は、仏教は世界のいかなる宗教よりも優れていると説いている。そして、釈迦の死後も未来にわたって最高の教えであることは変わらないと予言している。
釈迦の教えは、何度も言っているが、観念論ではない。DNA的自己変革が、知識や精神修養や理論などでできるわけがない。釈迦が生涯に渡って説いた教えの極意は、DNA的自己変革を現実の生活の中で成就するための実践論だったのだ。ここのところが理解できている仏教関係者は、ほとんどいない。
釈迦を二千五百年前の歴史上の人物として語ったり、商売の道具にしたり、学問のネタにするのは、人々の救済のために生涯をかけて尽くした人生を冒涜することになるだろう。釈迦は現在に生きている。生老病死に苦しむ人々、人生の不条理に泣く人々の、心強い救世主となり得るのだ。
(五)悟りはどこで開けるか
いったい、釈迦はどこで悟りを開いたのだろうか。よく言われているのは、難行苦行の修行の中で悟りを開いた、とか、木の下にじっと座っていてひらめいた、とか言われているが、これは作り物語に過ぎない。真実は《人間の中》で悟りを開いたのだ。もともと釈迦が出家しようと決心をしたのも、苦悩している人々の姿に接して、何としても救済したいという思いからだった。
もし釈迦が、大海の無人島で、ただ一人で生活するのであれば、悟る必要もなければ、仏になる必要もない。どんな生き方をしようとも、だれも影響を受ける者はいないのだから、好きなようにすればよいということになる。当然、仏教を説く意味もない。
釈迦が仏教を説けるように悟りを開けたのは、悩める人々と接触できたからにほかならない。人と人との関係は、悟りの必須条件なのだ。また、釈迦は初めから一気に深い悟りを開いたのではない。悩める人々の中に飛び込み、一人ひとりと同苦しながら、その人に最も適切な教えを説いて救済する中で、悟りの深化がなされた。説法すべき多様な人々が居たからこそ仏としての存在意義が深まったわけだ。
このことは、特別に釈迦に限ったことではない。私たちも、人としての成長や訓練を行うことができるのは、他人との関係性の中においてである。赤ん坊として生まれてから、一人前の社会人になるためには、自分以外の人間との接触が必要なことは言うまでもない。自己を客観的に観察できる、他人との触れ合いが無ければ、独りよがりの自己満足な思考に傾いていってしまう。
このごろの生徒の中には実社会の中で、もまれることを嫌がる傾向があり、できるだけ、人との接触を避けられるような仕事を希望する者が多くいる。人間関係が苦手なのは分かるが、人間的な成長はパソコン相手ではできない。どこまでも他人との接触の中で培われるものだ。
引きこもりの生徒にも何人か関わってきたが、自宅から一歩も出なければ、一歩も前に進むことはできない。もちろん、さまざまな挫折感の上に引きこもりになっているわけだから一概には言えないが、本人が、他人と主体的に関わるように勇気をもって生きていこう、と決意することが大切だろう。
釈迦の、他人との関わりの中には、もう一つ重要なことがある。それは、釈迦の人生は、非常な迫害の連続だったということだ。暴力的な迫害はもちろん、人権を否定するようなを誹謗中傷、えん罪など、人間の汚れた心から出てくるあらゆる迫害にあった。その迫害の首謀者は、釈迦の親戚縁者の中から出たりしている。さらに、迫害の対象が、心より大切にしている信者たちへも向けられた。
このような迫害は、本来であれば迫害者は激しい憎悪の対象になるのが当然だが、釈迦は、悟りを開いた深さと迫害をされた程度とは比例すると言って歓迎さえしている。何度も命にも及ぶような迫害を受けたからこそ、深い仏としての悟りを開くことができたのだ。だから釈迦は、その仏がどれだけ優れたものであるのかは、どれだけの迫害に耐えながらも説法をしていったのかを見れば明らかだと言っている。
仏にも高低浅深があるのだ。釈迦はそれこそ無数に近いほどのたくさんの仏を経文の中に登場させている。そして、それぞれの仏の由来を説いて、役割も明確にしている。仏は、どのような分野をどの程度の深さで悟りを開いたのか、という事によってレベルが決まってくる。
釈迦自身も、悟りが徐々に深まっていったのだ。当然、深まるに連れて説教する内容も変わってくる。だから、経文によっては、全く反対のことを述べているものもある。経文を解釈するときには、それが釈迦の悟りがどの程度の深さの時のものかを必ず調べておく必要がある。これは、仏教を学する上での基本になる。
悟りが深まるということは、何を意味しているのか。それは、より多くの人々を救済することができるようになったということだ。釈迦は初めの悟りを開いてから、若いながらも必死になって悩める人々の中へ飛び込んだ。そこで、千差万別な人生の悩みに沈んでいる人に救いの教えを説いていった。その中で、今までの自分の悟りでは、救済できないような不幸な人々にも出くわしただろう。その時、自らの悟りをさらに深めて、救える人を多くしていった。
釈迦が最終的に行き着いた悟りは、言うまでもなく、万人救済の道であった。どのような苦悩に沈む人々も必ず救済できる悟りと、そこから出てくる普遍的な教えを到達点とした。ここに行き着くまでには、大きな迫害を何度も乗り越えなければならなかったのだ。
釈迦は、到達した自分自身の境涯を、
「世界中の人々が受けるすべての苦しみは、私の苦しみである」と言っている。全人類が、未来に渡って受けるであろう無限大の苦しみを釈迦一人が受けて、そして必ず人々を幸福へ導いていくという壮大な境涯である。
釈迦がたどり着いた最終的な悟りの境涯というものは、人間存在の本質であると言える。釈迦はその本質へ徐々に登っていった。そして、途中の位置で、その時の境涯にふさわしい経文を説いていった。だから多くの経文には、釈迦の到達点の境涯を表現しているのではなく、部分的な真理は説かれているが、全体像が説かれていない。人間存在の本質の一部分しか説かれなかったといえる。
釈迦の説いた人間存在の本質というのは、アインシュタインの物理学理論に似ている。アインシュタインは、物体が高速に限りなく近づくと質量、体積、時間軸が変化すると説いている。
相対性理論が出てくるまでは、物体の本質を正確に把握することはできなかった。相対性理論が出てきて初めて物体の本質を知ることができた。もちろん、これからさらに科学が発達すればは物体の把握はより深まるだろうけれど。
人間存在の本質というのは、言い換えれば、生命とは何か、ということだ。生命の把握も、一般的な物理学と考えられる、仏教以外の捉えかたは生命の一面だけを見ているにすぎない。この一面で捉えたものを生命の本質だと錯覚することによって、さまざまな矛盾が生じていることはご存じの通りだ。例えば、医学上での死と倫理、道徳、伝統などから捉えられる死との間には乖離(かいり)があって、相互の兼ね合いに苦慮するようなものだ。
釈迦が透徹した知恵で把握した生命の本質とは、相対性理論が捉えた物体の本質と似ている。一般的な物理学での、物体の質量、体積、時間の捉え方のような固定概念で生命を捉えようとしても、所詮、不可能である。まったく次元を変えた相対性理論のように、これまでの常識的な認識の仕方を一度、すべて捨てて、白紙の状態で生命と向かい合うことが必要だ。
例えば、生命というものを《時》というものから考えてみよう。われわれは常識的に時を過去、現在、未来というふうに捉えている。ところが、ふと考えると、時を三つに分けるなどというのは人間が勝手に考えた概念規定あって、現実の時にはそんな区別などないのが分かる。それは、「今が現在です」と言ったとしても、その瞬間にすでに過去になっている。
同じように、「一秒先も未来です」と言った瞬間に未来は現在となり過去になってしまう。生命を捉える場合、過去、現在、未来というような時の概念で捉えようとするのは、ちょうど、物体を一般的な物理学で捉えようとしているのと同じで、本質を捉える事はできない。
釈迦は、生命というものには過去も現在も未来もすべて本然的に備わっているものだと説いている。だから、現在の生命を深く認識していくことは、過去の生命を知ることにもなる。生命はこの世に何物とも関係なく、忽然(こつぜん)と発生したものではなく、当然ながら両親から生まれたわけだ。さらにその両親もまたは両親から生まれたわけだ。この生命の営みを永遠と繰り返しながら今の自分の生命が存在している。そうすると、今の生命を深く観るならば、延々と続いている過去世を観ることができるだろう。
同じように、瞬間瞬間、未来が現在となり過去となるのを考えれば、今を観る中に未来も観ることができる。自分という個別性を持った生命が、未来において全く別人になることはありえないわけだから、現在の生命の本質を見極めるならば、未来の自分の姿も観ることができるだろう。
さらに、前述の、両親から自分が生まれたとの見方を一般的な物理論の見方とするならば、相対性理論から観れば、本来、自分の生命は永遠に存在していて、時に応じて今の両親の命の流れの中に出てきた、と考えられる。そうすると、この世で、もし子孫を残さなかったとしても、死ぬことにより自分の生命はまた永遠の存在の中に帰っていく、と考えられるだろう。だから、現在の自分の生命を深く認識することによって、未来の自分から来世の自分までも知ることができることになるだろう。
これが釈迦の説いた、現在の生命の中に過去、現在、未来のすべてが含まれているということだ。私たちには、この世で死んだ後も、自分の生命が永遠に存在しているとは信じがたい。しかし、一般的な物理学で考えるならば、物体が高速に近づくと、無限に質量が大きくなり、無限に体積が小さくなり、無限に時間の流れが遅くなる、などということは信じられないことだった。ところが相対性理論が出てくると、逆に物体の存在の真実の姿は質量、体積、時といったものが混然一体として成立していることが分かった。同じように考えれば三世の生命も理解できそうな気がする。
この《時》という観点からの生命の捉え方は、釈迦の悟ったほんの一部である。釈迦の悟りの全体は、生命を捉える観点として三千の方向性を明確にし、それぞれ深く捉えている。その内容は驚くべき深さと広さを持っていると言える。
釈迦はどうしてこのような広大で深遠な悟りを開いたのか。大切なのはここだ。最大の理由は、苦しむ人々を救済したかったからだ。さまざまな事柄で苦しんでいる人々を目の前にして、それらの全ての苦しみが出てくる根本は何かと思索したとき、生命の本質的なところに原因があることを確信した。だからこそまず、生命とは何かを知らなければいけないと思ったわけだ。そして優れた英知をもって生命の全体像を覚知したのだ。釈迦の悟りは、徹頭徹尾、《人間の中》にあったといえる。
生命とは何かが理論的に捉えられたとしても、それはあくまでも観念論であって、現実の中で苦しみながら生きている人の役には立たない。観念論と現実の間には天地雲泥の差がある。当然ながら釈迦は、次の段階として、自ら悟った生命観を、現実に苦しむ人々が幸福へと転換できる実践論として説いていった。それが三世に渡る生命のDNA的自己変革である。その人の生命の中にある不可抗力と思えていた不幸の根本原因を幸福の因へと転換して行く道だ。
釈迦は、理論と実践を、車の両輪、鳥の両翼のように不可分のものだと考えて教えを説いている。宗教にとって、理論なき実践は妄信になり、実践なき理論は無用の長物となる。このことを誰よりも知悉(ちしつ)していたのは釈迦その人であった。
(六)仏教平和主義
これもよく勘違いされていることが多い。それは、仏教の平和主義というのは、社会体制などには関わらずに、仏を信じ仏の加護によって世の中を平和にしよう、とするものだと思っていることだ。
釈迦の平和主義はそんなものではない。釈迦の平和に対する基本的な考え方は、例えば、信者がたくさん集まって平和のための祈りをしていたとする。その時に、上空からミサイルが飛んできてその場で爆発する。ほとんどの信者が亡くなってしまう。これは言わば、消極的な平和主義者だ。釈迦は、こういう信者がいくら多くいたとしても、世の中はよくならないし、戦争もなくならない、と言っている。
同じように、山を走り回ったり、滝に打たれたり、木を燃やしたり、経文を写したり、こんなことをして、悟りを開いたなどと言っている人が、いくら増えたとしても、平和に寄与したと言えるわけがない。何万人の僧侶が集まって、仏像に平和の祈りをささげて読経したとしても、何の役にも立たないというのが釈迦の考え方だ。そんな、自己陶酔や思い込みのような平和主義ではない。
釈迦の平和主義は、自己満足的な観念論ではなく、現実的積極的なものだ。もし、ミサイル攻撃をしてくる可能性のある国があるならば、発射ボタンを押す状況になる前に、その国に行き人々を教化して、平和を求める国民に変革するべきだと教えている。国民の大多数が平和を求める思潮になれば、指導者もそれを無視することはできないだろう。
釈迦の教えの素晴らしさは、一人の人が幸せになると同時に、その人を含む社会全体の平和と発展を推進することだ。釈迦は国の政治家を仏教に帰依させ、慈悲の精神で国を治めさせて平和で幸せな国の建設をしている。
信仰によって多くの幸せな信者ができたとしても、戦争になり、次々と出兵して戦場で死んでいったのでは、幸せと言えるわけがない。釈迦はこういう、社会に対して無力な宗教を否定した。人を不幸にする政治的権力に対して阻止する力を持たなければ、人の幸福を説く資格はないともいえる。独善的な宗教では、社会の平和に寄与することなどできない。そうかと言って、もちろん、武器を手にして戦う訳ではない。僧兵などというのが出てきたが、これは釈迦の思いとは全く関係がない。
人類の歴史は、殺し合いの歴史であったといえる。それは今も続いている。地球上にいる生物の中で、同類を最も多く殺したのは人類だ。特に第一次世界大戦には、近代兵器が登場したことによって多くの人が一度に殺された。その数は民間人も含めるとを三千七百万人とも言われている。やがて、原子爆弾も発明され、取り返しのつかないほどの殺傷力を人類は持つことになった。
二十世紀の人類の歴史は、血塗られものになった。二十一世紀は誰もが人類共存の平和な世界を夢見た。ところが二〇〇一年には、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。これは二十一世紀を象徴するような事件であった。現在も世界中で、民族紛争、宗教戦争、国境紛争など一触即発のきな臭い状況が続いていることは誰もが心を痛めているところだ。
いったい、どうしてこのように人間はお互いが殺しあうのだろうか。答えは簡単だ。それは、
《愚か》だからにほかならない。
私は教員現職の時、生徒によく言ったものだ。
「人間が殺し合うということを誰もやめさせることができないのが現実だろう。世界の名門大学を出て博士号を取った学者であろうが、世界的に人気のある政治家であろうが、多くの信者を持っている宗教団体のトップであろうが、誰も人類の殺し合いの歴史を止めることができなかったんだ。
これらの人々は、賢者のように言われているが、実際には愚かな者でしかないねえ。これから君らが大学で勉強する内容も、殺し合いを止めさせることすらできない程度の、レベルの低い学問なんだよ。そう思って、しっかり勉強して、君らが、愚かな人類を賢くしていけるような新しい学問を築いていってよねえ」
しばしば、こんなふうに話をしたものだ。私たちは、まず何よりも、人間は愚かであるという自覚が必要ではないか。地球上の生物の中でもっとも愚かなのは事実だろう。学問を進め、科学を発達させて、より多くの人間を一度に殺傷する武器を作るのだから、これほど愚かな生物はいないだろう。
これまでの人間の歴史を見ると、同類の殺し合いを止めさせる確実な方法を誰も持ち合わせていないことは明白である。もし、あるのならば、とっくに世界から悲惨な戦争はなくなっているはずだろうから。
紛争は今も続いているし、ますます大規模な殺し合いになる可能性も孕んでいる。このことは、知性や理性、道徳や倫理、経済や政治、こういうものでは、根本的な解決はできないことを意味している。ましてや、武力によって解決できるわけはない。それでもなお平和への努力をするのは、それしか他に方法が無いからにほかならない。
これこそ、一人の人間が努力や心掛けではどうすることもできない不幸なDNAを持っているように、人類全体として不幸な殺し合いの道を歩まなければならないというDNAと言えるだろう。少々、誇大妄想的な言い方になるが、人類はいいかげんで、この事に気がつかなければならないのではないか。
釈迦は、透徹した知恵によって、二千五百年以降の時代様相も想定している。それによれば、人類は争いと殺し合いを永遠に続けるだろうと言っている。まさに、現状に符合していると言える。そうであるならば、小手先の策や方法では、本質的な解決にはならないことは明らかである。
実は、釈迦は、二千五百年先の我々人類の苦悩を解決する道を示しているのだ。それは、個人のDNA的自己変革と原理的には同じで、
《人類のDNA的自己変革をせよ》ということだ。
釈迦は、人類の平和を夢物語として描いているのではない。一人のDNA的自己変革が、一国のDNA的自己変革につながり、さらに、世界のDNA的自己変革につながる。それが人類のDNA的自己変革を成し遂げることになると言っている。人類を救う方法は、これしかないと断言をしている。
この事を信じるか信じないかは別にして、全人類がこれまで築いてきた知性の結晶をもってしても、殺し合いを止めさせられないことを真摯に受け止めるならば、釈迦の話に耳を傾ける価値は十分にあるのではないだろうか。
(下に続く)
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