大和田光也全集第26巻
『お父さん、元気ですか』

お父さん、元気ですか。わたしも早、実年になりました。
あなたが見ることができなかった長男の泰広は、体を動かすのが何よりも好きな子で、毎日楽しそうに小学校へ行っています。

わたしが泰広の年齢のころ、あなたをどのように見ていたのかなあ、と時々、思うことがあります。

「朝、10分、早よう起きてナ。体操をせよ。これで1日の調子がずいぶん良くなるぞ」

軍隊で鍛えた頑丈な体を、すがすがしい朝日の中で、まるで戦車のように動かしていましたね。頼もしかった。
背後には遠く、海も優しく見えていました。

でもあなたは、この時、戦争の無理がたたり、すでに心臓が悪くなっていたのですねぇ。それでも、商売の薬店は年中無休で頑張った。
やがて、店は繁盛し、大きな店舗にもなりました。

今わたしは、あの頃のあなたの年齢になりました。そこで思うことは、現実に根を張り、創造しゆくために、心身ともに充実させて踏ん張らなければならないということです。

教師という仕事は切りのないものです。やらねばならないことはそれほど多くはありませんが、やった方が良いことは無限にあります。それだけに、真剣になればなるほどストレスもたまります。

人間の心と肉体というものは、不思議なものですね。やはり、一体不二のものです。
心ばかりでやる気があっても、体が付いて行かないと、いつかはその心も萎えていきます。肉体ばかりが元気であっても、心が正面を向いていないと、浪費が多いのです。

あなたが毎朝、少々、荒い息をしながらでも、体操をしていた意味が分かるようになりました。

わたしは、数年前から暇を見つけては泳ぐようにしています。夏は屋外プールで、冬は温水プールで。
ところであのころ、温水プールなどというものは考えられませんでしたねぇ。

あなたも知っての通り、わたしは泳ぐのは得意です。あの頃、夏になれば、日がな一日、友達と海で遊んでいたのですから。

学校での仕事が終わり、特に心身ともに疲れた時など、家に帰る前に行きつけのプールへ車で行きます。車のトランクにはいつも水泳用具一式が入っています。

水の中へ入るとマイペースで泳ぎます。最近では水の心が分かってきたような気になりました。やはり年なのでしょうか。
余力を残して水から上がります。

家に帰るころには心身共にリフレッシュして、課題に真正面から取り組んでやろうという気になります。

高い山に登るのに、頂へ続く道は骨が折れます。でも、常に充実感があるのは当然です。横に逸れる道は安楽です。さらに下りて行く道には誘惑さえあります。
自分との闘いなのですね。

実年からは、登る道しかないのだ、と思います。人生の総仕上げの時、自らの生きてきた道を泰然と見渡したいのです。
あなたが悪い心臓を抱えながらも、体操しながら生き切ったように。

時々、泰広を連れてプールに行きます。一緒に泳いでやった後で、泰広をプールサイドに座らせて、わたしが泳ぐのを見せます。

「お父さんについて誇りに思うことは何ですか、という質問に〝どんどん泳ぐこと〟だって。それ以外なし」

泰広の学校の参観日に行ってきた妻が、少々、あきれ顔でわたしに言いました。わたしはうれしかった。
やがては、泰広にも、わたしが泳いでいた意味をしみじみとかみしめてくれる時が来るでしょう。

ところでお父さん、そちらはいかがですか。
いつの日か、わたしも泰広も、そちらにまいります。その時には3人そろって、生きていたころのことを懐かしく話し合いましょう。
それまで、お元気で。